妄想に生かされる

自分語り、BL、創作、性癖などを置いていく場所

「愛し合うように喧嘩」とは

 昔は全然観なかったドラマを最近観るようになった。その中で今、面白いなと思うのが金曜日の22時からやっている某刑事ドラマ。米津さんが主題歌を務めるあれ。

 あの曲は本当に良い。何が良いって、ドラマの内容にピッタリハマってる(主題歌だから当然)し、最近増えつつある?バディものの曲としては歌詞が秀逸だと思う。「愛し合うように喧嘩しようぜ」という歌詞、一体どれだけの腐仲間が推しCPに当てはめて妄想を繰り広げただろう。勿論僕も例に漏れず。というか、恋愛が主題ではないドラマの歌に「愛」という単語を組み込む感性が個人的に好きだ。

 

 ところで「愛」って何だろう、と常々考える。

 辞書で調べてみたり宗教的な観点で見てみたり、もしくは人によっては「これが愛だ!」と言い切ってしまえる人もいれば、言葉にしようのない感情こそ愛だと嘯いてみたり。「愛」の定義は人それぞれだと、俺は思う。個人的な見解。

 性欲=愛とか、そういう意見が結構まかり通っている気がしていて、じゃあ家族に対する感情は愛じゃないのか?って疑問に突き当たるし(この際親に対する近親姦的願望どうのこうのの心理学的話は置いておいて)、生涯で性欲を全く抱かない人もいる中、暴論のようにも感じる。

 話は戻り、米津さんの昔の曲に似たような歌詞があって、「愛ともいうその暴力で君と二人で喧嘩したい」というものなのだがあれも好きだった。

 「喧嘩」と「愛」という一見結びつかない言葉を直喩で繋げてしまう感じ。そういう愛の形もあるんじゃないか、いや、あっても不思議なことではないしそれを否定するなんてことはできない。「愛」=定義がない、つまり人それぞれ。

 

 最近、人と関わるようになってきて、色んな考え方色んな生き方の人がいるのだとしみじみ感じてる。以前もそういうスタンスでいるつもりではあったが、勝手に想像するのと実際に会ってみるのとではまったく違う。自分もようやく、自分以外の他人のことが見え始めてきた気がする。

 これだけの人間が生きている中で、価値観がまったく同じ人間なんてまずいない。それをわかっていようがいまいが、折り合いをつけながら生きていくしかない。

 

 セクシャリティだってそうだ。人それぞれ。わかりやすいようにLGBTなんて枠にはめて説明してるだけで、本当はそんな枠も実際は存在しない。ゲイでも女性とセックスできるとか、トランスでもあえてユニセックスな振る舞いをしたりとか、それを他人が見て「それは違う」と言う権利はどこにもない。

 そんな中で愛というものが何かなんて、考えれば考えるほど無粋に思えてくるのだ。

 性欲を伴わない愛も確かに存在する。人と違う意見だとしても「これが私の愛だ」と胸を張って答える人もいる。だったら、同性愛者か異性愛者かの線引きは一体どうすればいいんだ、っていうのも気持ちはわかるけどそんなん本人にしかわからん。その人が愛だといえば、何が何でも愛なんだろう、多分。

 その愛が向く対象が人間でも動物でも物でも二次元でも三次元でも同じことだ。愛し合うように喧嘩する人もいるし、喧嘩するように愛し合う人もいる。種類も沢山ある、それこそ人の数ほど。性欲=愛では必ずしもない。そして言葉では説明できない感情とか行動をとる人間ってやっぱり面白いなって思う。

 

 よく恋は自分本位、愛は他人本位と聞くが、それって愛の定義が様々だから自分の価値観が相手に通用しなくて、それでも相手を尊重したいと思うから自然と他人本位な考え方になるんじゃないだろうか。自分でも何言ってるかこんがらがってきた。何回愛って言えば気が済むんだ。

 まあ、今のところ自分の中でこれが愛だといえるものを経験したことがないので、自分はまだまだ愛も知らないひよっこということだな。

zoom初体験話

 今日はなかなか忙しい日だった。念願であった、LGBT交流会に参加させていただいた。とはいってもこのご時世、やむなくオンラインでの交流会開催という形だったが仕方がない。zoomも初めて使ってみて、個人的な意見としては簡単だしSkypeより使い勝手いいな、と思った次第。

 

 改めて言っておくと俺は分類上はT、つまりトランスジェンダー、当事者ということになる。自己紹介もそんな感じで当たり障りのないことを言った。

 緊張しいな上に話すことも得意じゃなく、話してる最中は完全に頭が真っ白になり後から思い出そうとしても何を自分が喋ったか、まったく思い出せないことがほとんどで、今回も例に漏れず自分の発言そのものはあまり憶えていない。だが、人の話を聞くだけでももちろん収穫はあった。

 内容の詳細を書くことはできないが、心に残った言葉があった。「仕事がしたいだけなのに」。この言葉を耳にした瞬間、ものすごく心に刺さった。

 まわりと同じように働いて、同じように生きていきたいだけなのに、性的マイノリティを理由に職すら選べなかったり、結婚をしなければ変な目で見られたり、その他諸々……あまりに生きづらすぎる。俺たちは、彼らは、そんなにもあなた達と違うのかと。

 もちろん、ヘテロアセクシャルの人でも結婚とか恋愛とかを必要としない場合もある。そういうのも含めて、先入観や固定観念やらが根こそぎなくなって、誰もが生きやすい社会が形成されていけばいいのにな。

 自分が自分らしく。人は人らしく。そうなっていくにはやはり、俺のような人種をもっと知ってもらうことも必要なのかもしれないが、カミングアウトを急いてもいけない、世の中はいい人ばかりではないから。アウティングなんてもってのほかだ。

 折り合いをどうつけていけばいいのやら……俺が思っている以上に、世間は俺たちに対して当たりが強いのだということも、今日思い知った。

 

 最近、出不精や対人の苦手意識を克服するため、色んな場所や企画に足を運び、色んな人と話す訓練をしている。経験を詰めば何事も慣れる。俺には圧倒的に経験値が足りないので、その経験を積みたいと考えた。そして色んな意見を聞き、自分の気持ちが変わればいいと思うし、変わらなければまた新たな打開策を模索する道標になる。今の経験は、決して無駄にはならない。

 今のところ、如実に成果が出ているとはまだ言い切れないが、こうして色んな話を聞く機会を見つけて何か身になればいいなと思う。

未治療FTMが改名について考えてみた

 自粛自粛で予定していた交流会などが中止になる中、つい先日貴重なお時間を割いていただき、性的少数者支援団体のメンバーの方とお話する機会があった。

 ざっくり言うと「どこまでカミングアウトして生活するか」という相談をしたくてコネクトしてもらい、そこで色々と有用な情報を得た。その中で「通称名を使って働く」というのがあった。

 俺らみたいなGIDが戸籍上の性別を変えるためには手術が必要だけど、名前を変えるだけなら意外に簡単に手続きができるらしい。もちろん、相応の理由は必要だけど。

 自分が今暮らしている県では先駆けてパートナーシップ制度が今年から導入されていたり、セクマイへの理解を促すハンドブックが作成公開されていたりと、田舎にしてはわりとそういう問題に対して積極的に動いてくれている。なので、GIDを理由にした名前の変更にはちょっと優しく受け付けてくれるかもしれないとかなんとか。

 今まで、そもそも手術を受けなければ戸籍云々は何も手がつけられないと思っていた俺は目からうろこだ。たしかに名前が変わればだいぶ気持ちも変わるし、生きやすくもなるかもしれない。

 元々体格も大きく、声も低めなので、未治療なのに初見で男だと判断される率がめちゃくちゃ高い。が、名前がいかにも……というか女にしかありえない名前なので、顔と名前を出さなきゃいけない場面ではものすごく不便でものすごく不快だった。面接とかでも、名前と顔のギャップがハンデになるのではと恐怖を感じる。名前を偽るわけにはいかない。でも女性のフリは今さら絶対に無理。スカートなんか高校卒業と共にもう二度と穿くものかと誓った。だから、名前さえ変えられれば……。

 

 実は正式な手順を踏んで名前を変更する場合でも、「通称名の使用実績」というものが必要になってくる。変更を希望する名前を一定期間以上実際に使用していた証明は、たとえば公共料金の明細とか、郵便とか。要は、戸籍名を変える前にすでに通称名を使っていなければならない。

 その知識はあったものの、そもそもその通称名って勝手に名乗っていいもの? とか、俺みたいなホルモン治療も手術も何にもしてない状態で手続き通るの? とか、色々とまた疑問が出てくる。

 しかも俺、こういう名前にしたいって具体的なことすら考えたことなかったからな…………こういう名前がいいっていうのはあっても、実際にそれを名乗るビジョンが浮かばない……

 

 通称名の使用自体はGIDに限ったことではないので、多分ちゃんとやっていけば使えるんだろうけど、その場合中性的な名前でなければ逆に生活に支障が出るかもしれない。でも俺は中性的な名前じゃなく、ゆくゆくはちゃんとした男の名前にしたい希望があるんだけど……

 ネットで調べても、詳しい記述がなくて途方に暮れる。しかもつい最近主治医の先生が退職されていて(事後報告。聞いてねえよ)現在主治医がいない宙ぶらりんな状態なので、専門的な相談もできない……

 一体俺はどうすればいいんだ。気持ちばかりが焦る。道のりは長い……

 

 

 話は逸れるがメンバーの方とのお話の中で、「理解や認知度がなかなか及ばない社会で生きていく覚悟もすべきかなと思います」という俺の発言に、相手が「本当はそんな覚悟いらないんだけどね」と返してくれたのが、胸に刺さった。そうなんだよな! 本当はこんな苦労も生きづらさも、感じる必要ないはずなんだけどなあ! 俺たちだけが理不尽な目に遭うのはどう考えてもおかしいもんなぁ。進んできたとはいえ、まだまだ世の中は厳しい。

掃き溜め

 吐き出すところがこんなところしかなくて、久々にブログの編集画面を開く。

 こんなとき相談ができる友人がいないってのは寂しいものだと、実感する。

 一晩経てば頭も冷えるだろうと思ったが、未だどうにもならないようなので、ここで独りごちろうと思う。

 

 

 まず、俺には兄と妹がいる。とはいっても、兄とは義父きょうだいで歳も一回り以上離れ、兄は家を出て久しいのでもう顔も思い出せないほど音沙汰が無い。たまに母が連絡を取っているらしいが、どこでどんな仕事をしているのかすらあまり把握できていない。

 対して妹とは2つ違いで、昔は仲も良かった。友達と遊ぶときはいつも姉妹一緒だった。自分が小5のとき両親が離婚し、俺が父、妹が母について別々に暮らすことにはなったが、住居の距離的にはそう遠くなかったので妹はしょっちゅううちに遊びに来たりして、むしろ離婚前より仲が良くなったくらいだった。俺が実は性同一性障害かもしれないということをそれとなく話してみたときも、「姉ちゃんは姉ちゃんだからいいんじゃない」と受け入れてくれた。まだ正式な診断を貰う前だったので、味方がいたということはとても心強かく、嬉しかった。

 だが、俺が高校卒業する頃くらいだろうか。妹との会話がだんだん減り、同じ空間にいてもろくに口をきかなくなっていった。これといったきっかけはなかった……つもりだ。ふと見た妹のSNSのつぶやきで、俺に対する恨みつらみを並べているのを見てしまったが最後、俺は妹と関わることをやめた。何故妹との会話が減ったのか、自分には心当たりがまったくなかったので、「なんでこんな好き勝手言われなきゃならんのか」と腹も立ったし、あっちがそういうつもりなら無理に関わることもないだろうと。

 幸い、俺が仕事を始め一人暮らしを始めてからは、ほとんど……というかほぼまったく、妹と顔を合わせることもなくなった。その後も妹は父親の家には時折寄っていたみたいだったが、たとえば家族で飯を食うとか遠出するとか、そういった機会にも、その場に妹がいるなら俺は断ってきた。だって、絶対に会いたくなかった。

 昔から妹は活発で、気が強く、俺とは正反対の性格をしていた。俺は歳をとるにつれ妹へのコンプレックスを募らせていたし、自分の病気のことも引き合いに出し、きっとあっちは俺の存在そのものを今となっては疎ましく思っているのだろうと決めつけ、今後は一切関わりを持たないようにしようと心に決めていたのだ。

 

 それが、つい昨日のことだ。

 妹が妊娠している、と父親から聞かされた。

 

 俺は一瞬頭が真っ白になって、処理が遅れた。理解してからも「ああ……」とか「そう……」とかしか答えられなかった。

 いや、え? は? ……え? 妊娠? なにそれ? あつまれどうぶつの森しながら聞く話じゃとてもねえよ。どういうこと?

 

 父の話では、相手は26歳で、そこも母子家庭らしく、妹の誕生日を待ってプロポーズするつもりでいたらしい。でも妊娠が先に判明してしまったということだろう。

 父は付き合っていること自体は知っていたらしい。だが流石に妊娠には驚いたのだろう。相手は産んでほしいと言っているけれど、父は妹に「自分のしたいことも一切できなくなるよ?」と言ったらしい。母は、「先々のことを考えたら出産は早いほうがいい」と言ったらしい。

 実際、妹と両親の間でどんな会話が交わされたのかは知る由もない。母は40手前で俺と妹を産んだし、大変さを知ってて、そう言ったんだろうなとは想像つくが。父が俺に報告した以上の沢山の言葉が飛び交ったかもしれないし、両親も妹もまだ今後どうするか考えている最中かもしれない。

 俺は必死にコントローラーを動かしながら、なるべく父親の顔を見ないようにして話を聞いた。どういう顔をしたらいいかわからなかった。「相手が妊娠がわかった途端逃げるような男じゃなくてよかったじゃん」「そうなったら日本刀持って怒鳴り込みいくところだったな」とかいう冗談で笑ったりもしたが、内心とても笑える気分ではなかった。

 

 ……本音を言えば。俺がまともじゃない分、結婚も子供も望めない分、そして兄も頼りにならない分、望みを託せるのは最早妹しかいないと思い、妹だけはいつか普通に結婚し、孫を両親に抱かせてあげてほしいと願っていた。できそこないの俺とは違って、まともな妹なら、そんな希望がきっと叶えられる筈だから。

 その気持ちは今でも変わっていない。だがまさか、こんなに早くその時が訪れるなんてまったく予想してなかった。だってまだ妹は21だ。誕生日が来たって22だ。早すぎる。話を聞いて真っ先にそう思ってしまった。

 妹とは関わりを絶って久しい。一度だけ自動車教習所でばったり鉢合わせし、「来てたんだ」「うん」というやり取りをたった一度しただけ、それきりだ。最初目の前に立っているのが妹だと思わず、美人のお姉さんがいるな程度に思ってたのが、顔をよく見てみたら妹だった。すでに俺の記憶の中の妹とは全然違っていた。

 俺が知らないうちに、妹はとっくに女になっていたのだ。それが衝撃だった。

 おそらく父や母は俺よりもっと衝撃を受けただろうし、俺がこんなにショックを受ける理由も、悩む必要もまったくないはずなのだ。だけど、昨日からそのことばかりが頭を離れず、まともにものを考えられない。一晩経ってもまだ。今もまだ夢なんじゃないかと思わずにはいられない。抱えたことのない感情に押しつぶされ、ノイローゼ気味になっている。

 

 結婚とか出産とか、そんなのはもっとずっと未来の話だと思いこんでいた。しかも今は自分が求職中ということもあって、己のことで精一杯になっていた。なのにいきなりそんなことを聞かされてもどう受け止めればいいかわからない。

 けれど混乱の中でも、確かなことと、新たに考えたことがある。

 妹が今後どうなるかはわからないが、もし妹が本当に結婚することになったとしても、俺は妹とは関わりを持つことを望まない。存在ごと消してくれていい。妹が「自分の家族は父母だけです」と相手に紹介するのが最善だと思う。俺のような病気を持った人間は世間には受け入れられないことがほとんどだ。妹が望むなら結婚式も行かないし甥姪にも会わないし、縁を切ったっていい。それくらい、妹とは関わりを持ちたくない。

 まぁそれは昔から考えていたことだが、いざそうなってみて新たに思ったこともある。縁は切ったとしても、親孝行という意味で、また一応血の繋がったきょうだいとして、兄らしく、伯父らしく、妹を助けることもできるのではないか。助けるべきなのではないか。

 親に楽をさせてあげることもできず、迷惑ばかりをかけ、家族や孫の顔も見せてやれない俺ができることなんて、妹を陰ながら支えてやることしかないんじゃないか?

 そう思ったら、今の自分の状況が情けなくて仕方がなく思えてきた。俺には悩んだり立ち止まる時間なんてない。一刻も早く自立をして、金銭的にも精神的にも安定し親に余分な心配をかけてはいけない。もし、仮に、万が一、妹の家族が俺の存在を知ることがあれば、せめて一人の人間として恥ずかしくない生活をしていなければならない。そんな使命感が今までになく心の中に渦巻いている。

 俺は本当に自分が嫌いで仕方なくて、こんな俺を認めてくれる人はどこにもいないのだと思っていたけれど、そんなことを言っている場合じゃない。何もできなくたって自信がなくたってまともじゃなくたって、自分の力で生きていかなきゃならないのだ。

 

 俺の人生は俺だけのものじゃない。それを今更はっきりと、思い知ったのである。

 

 嘘をついてでも、見栄を張ってでも、失敗しても躓いても、精一杯やってみよう。やって駄目ならそのときが最後になるのであって、今自分で最後と決めつけるべきじゃない。怖がってる暇はない。

 正直まだしばらくひきずりそうだし、自責も自己嫌悪もそう簡単に抜け出せやしないだろう。そんなすぐ自分を変えられたら苦労しない。だけど腐っているのはやめようと思う。

 妹の人生は俺には関係ないかもしれない。でも俺は俺に胸を張りたい。だから変わりたい。変わらなきゃ生きていけないんだ。

 文字に起こすことで気持ちの整理もついたし、明日から気持ち切り替えていくぞ。

 

 そしてついでみたいになったけど創作も少しずつちゃんと形にしていきたい。創作はずっと続けてきた大事な、俺が俺である証明だから。

 

 

 そして新型コロナウイルスは一刻も早く収束することを願う。お前のせいで予定崩れまくりやぞ。大変な世の中になってしまったけど気をしっかり持って元気に生きていこう。明けない夜はない、はずだ。

という夢を見た

 約2ヶ月ぶりの更新。

 

 特に書きたいこともなく停滞していたブログの更新だが、面白い夢を見たのでせっかくなら書き残しておこうと思う。

 

 昨晩、泣きながら眠りについた。無力な自分に腹が立ち、できそこないに生まれたことを悲観し、どうやって生きていけばいいのかわからなくなった。

 生きる勇気がない。死ぬ勇気もない。というか、本当は死にたくないし、楽しいことを沢山やって沢山生きたい、でも自分のような人間はまわりに迷惑しかかけないし無価値な存在だから、死ぬしかない。どうやったら死ねるだろうか。自殺の方法ってどんなのがあるっけ。そんなことを考えながら、ぐちゃぐちゃのメンタルで寝た。

 

 そうしたら、俺は事故に遭って死にかけた。夢で。どうして事故にあったかはぼやかされていてわからなかったが、とにかく事故で入院して、大手術が必要なくらいの大怪我をして、それでもなんとか生き延びていた。ただし、その後退院して元気にはなったが、まだ病院通いが必要らしく、目には見えない後遺症が残ったらしかった。夢だからそこらへん曖昧だけど。

 

 家族と事故のことで話し合いながら、なんと次には、現実で俺が好きなゲーム実況者が、俺の家に来たのである。理由は知らん、夢だから。

 でも俺はいつもYouTubeで画面越しに見ている(聴いている)憧れの人を前にして、とても喜んだ。舞い上がった。狭っ苦しい部屋の中にあの人が居る。しかも、相手のほうも(何故か)俺がいつも実況動画を観ていることを知っていた。知っているどおりの姿で、聴いているとおりの声で、優しく、気さくに俺と他愛のない会話をしてくれた。

 俺は、入院していたことを思い出しながら「生きててよかった」なんて思った。

 だが、楽しい時間はあっという間に過ぎる。その人はおもむろに玄関に向かう。

 その人の後ろ姿に向けて、俺は深々と頭を下げた。「ありがとうございました」と言った。そして「好きです」と言いかけ、それは流石に重いかと、ぐっと呑み込みもう一度「……ありがとう、ございました」と言った。

 その人が行ってしまった後も、しばらく家の外を眺めていた。

 

 ……すると、しばらく経ち、見慣れた家の道に、あの人の姿が現れた。

「え?え?なんで?」と戸惑っているうちにも、その人は道順を戻ってくる。そしてもう一度俺の家のドアを叩き、驚く俺を前にして言った。

 

「マリカでもしようかと」

 

(マリカかマリパか定かでないが、とにかく二人以上でしか遊べないそういう語感のゲームだった)

 

 その人は最初から戻ってくるつもりで、外に出たのは夕飯の出前を取りに行っただけだったのだ。

 戻ってくるとは思っていなかったので、俺はどこか気まずいような、気恥ずかしいような、でも心のなかではものすごく嬉しく思いながら、家族も一緒の食卓で憧れの人と一緒の食事をとった。

 

 

 ……夢はここで終わった。ここで目が覚めてしまった。

 目が覚めた直後、抱いた感想は「もっと夢の世界にいたかったなぁ」。目覚めてすぐに今までのは全部夢だと把握してしまったし、何ひとつ変わらない現実に引き戻され、絶望感が襲ってきた。どうせなら夢ならゲームしたかった。

 

 夢を見ること自体は大して珍しいことでもないが、面白いと思ったのは、こんな夢を見たのが、初めてだったから。

 俺の見る夢は大体が現実の出来事に則した内容だ。妙にリアリティがあって、現実で起こってもおかしくないような夢。好きであるはずのアニメやゲームのキャラクターもテレビの向こうの有名人も登場しない、自分中心のつまらない夢。

 目覚めて「覚めないでほしかった」なんて思ったことは、これまでほとんどない。ほぼない。俺にとって夢は、現実での記憶を整理したり反芻する以外の意味合いをもったことはなかったのだ。

 それが今回は、事故に遭い、画面の向こうの憧れの人物に会う夢。こんなに現実味がない……というか、現実ではほぼ起こり得ない、起こることが予測できない夢を見たことなんかない。

 

 起きてすぐに夢占いで調べた。諸説はあるが、

 

・事故に遭う夢……自分自身へのストレス、自罰、逃避願望、環境の急変

・憧れの有名人に会う夢……単純なその人その世界への憧れ、現状への不満

 

 といったところである。

 

 納得した。事故に遭って死にかけたのは、自分を罰する気持ちや、問題を先延ばしにしたい気持ちから。憧れの人に会ったのは、その人のように自分もなりたいから。

 ボロボロのメンタルをまさに表しているからすごい。夢って、本当に深層心理が出るんだな。

 直前に悩んで泣いたりしたからそんな夢を見たのかもしれないし、逆に今までそこまで悩んでなかったのかもしれないし、よくわからないが、自分がこんなことを考えてるんだということを知ったし、こんな楽しい夢のような夢を見たのは初めてだったので、ますます現実から目を逸らしたくなってしまった。

 

 あと、占いの類でよくある、「異性」とか「同性」とかいう表現。

 あれ、俺みたいな半端者はどっちで見ればいいんだ?とよく思う。

 生物学上では女だが、恋愛対象は女性だし、一体「身体的に異性」か「精神的に異性」どっちとして捉えるのが正解なのかと。まったく、こんなところでも世界は俺に優しくない。

 最近はもう割り切って「男が同性、女が異性」と認識している。それはそれで誰かを騙しているような罪悪感があって微かな良心が痛む。誰にも責められたことないのに。

 

 俺は基本的に男性のゲーム実況動画しか観ないのだが、その夢に出てきたゲーム実況者も男性だった。そこそこのチャンネル登録者数もいるし、立派な有名人。今でこそ色々なチャンネルを観るが、俺が「ゲーム実況者」という存在を知るきっかけになった人だ。

 そんな人が夢に出てきたということは、自分がそのゲーム実況者に「同性として憧れている」ということなんだろうか。確かにその人はルックスも良く、声も良く、面白いし、朝起きてこんな人になってたら人生180度違うだろうなぁとも思う。だから確かに憧れはある。

 

 「男」に憧れはあるけど、「男」というものは好きになれない。

 俺がどんなに足掻いても、「完璧な生まれながらの男」にはなれないから。俺の欲しいものを持っていて、何不自由なく暮らしているから。

 

 どうせ現実では叶わないのだから、一度くらいはイケメンになって女性にモテる夢を見てみたいものだ。

 現実では俺を愛してくれる人も、俺が想いを伝えられる人もこの先一生いないんだと考えると、生きる意味なんかないように思うんだが、それでも俺に生きる価値なんかあるんだろうか?

 誰か教えてくれ。「お前は生きててもいいよ」って認めてくれ。

 駄目なら楽しい夢に閉じこもらせてくれ。

自信を手に入れるには

 毎日生きてることが申し訳ないと思いながら生きている。誰よりも下に生まれた気がする。一生治らない病を患って生まれた気がする。親にすら申し訳ない気持ちでいっぱいだ。出来損ないの子供でごめん。親孝行できなくてごめん。

 高給取りな訳でもないし、普通の恋愛も結婚もできない、子供も作れない。本来親が親として味わう筈の最高の幸せを与えてあげられない。こんな子供なのに育てさせてごめん。親が事前に生まれる子供を選ぶ権利が持っていたら、俺はきっと選ばれていなかった。ハズレガチャ引かせてごめん。

 自分で自分のことが大嫌いで、殺したいほど憎んでいるのに、殺す勇気も死ぬ勇気も出なくて生き延びてしまっている。けれど生きる勇気もない。前向きに生きる方法は自分を好きになること? 絶対に無理だ。欠陥品の自分の存在を自分で許せない。

 よく「性同一性障害は障害じゃない、個性だ」と言う人を見る。その意見を否定するつもりはないが、俺は自分で自分のことを障害者だと思っているし、いっそ不治の病だとすら感じる。

 だって、どんなに心が「本物」でも体を弄っても、俺は一生「生まれつき本物だった男」にはなれないのだ。心は正常なのに、体はおかしいままなのだ。これが病気でなくて何になる? これを個性だと言われてたまるか。男に「成りたい」のではない。男に「生まれたかった」んだ。この器に押し込められて生を受けてしまった以上、俺の人生は既に詰んでいる。好きになれ、自信を持てと言われてもどうしようもない。

 だけど所詮、こんな屁理屈をいくら並べたところで現状は変わりはしない。どうしようもないくせに、死ねないのなら生きるしかない。弱音も文句も一切吐かずに。

 

 今日、俺は会うのが二度目の人に弱音を吐いてしまった。どうしようもない愚痴を話しながら俺は、「ああまたこんなことを話してる、自分で解決しなきゃ人に話したところでどうしようもないのに、相手もこんなこと話されて迷惑してたり困ってたりしてるはずなのに」と自己嫌悪していた。

 だがその人は俺の話を聞き、こんなことを言った。

 

 「「自信=自己有用感」で、それは人と関わることで得られるものだから、まずは人と少しずつでも時間を共にして、人から感謝されることが増えていけば、自信がついていくんじゃないかな。そこから始めませんか?」

 

 どこかで聞いたような言葉だと思った。自信をつけたいが為に読み漁った資料にいくらでもそんなことは書いていたし、それができないから悩んでるんだろうと思ってきた。

 だけど、俺の話を目の前で聞いてくれて、その上でどうしたらいいかを考え、提案してくれたことに意味があった。他人だけど、言ったら言いっぱなしの無責任な台詞じゃないというだけで、自然と素直に受け入れることができた。

 俺は今までひたすら人と関わることを避けてきたし、今では損得勘定で交友を自ら絶ってしまうことも少なくなかった。この人と付き合って自分に得があるのか? この人は自分と付き合って何も得をしないんじゃないのか。お互いに損しかない関係は最初から作らないようにしよう、と。

 だから自信がないのだと言われれば、そうかもしれないし、違うかもしれない。俺が俺を嫌いな理由は別の場所にあるような気もするから。それでも自分ひとりで悩み続け、出口のない迷路をさ迷い続けるのなら、何か行動を起こすべきじゃないかと思った。

 その為の環境を提供してくれる人がいるのだから、機会を逃すべきじゃない。このまま独りでい続けたら、きっと何も変われないし、死ぬことも生きることもできず、誰もに対して申し訳ないと思い続け、迷惑をかけながら過ごしていくしかない。

 俺にできることなんてたかがしれている。でもできることが一つでもあるなら、やらなければいけない。生きていく以上は。

 

 そういうわけで、まずは人と関わることから始めようと思う。どうせ俺のような欠陥品は頑張ったところで大した成果も残せないのだから、ゆっくりじっくり、せめて人並み……いやちょっと下でもいい、とにかく平均水準に届くよう、やっていこう。

 自分の人生は自分のもの、誰も責任を取ってはくれないし、俺一人死のうが生きようが他人にしてみればどうだって構わない程度のことなんだから。

 

明けて早々にエロ小説の書き方について

 遂に2020年が始まった。今年ねずみ年……俺氏、年男である。去年は個人的な転換の年だったのだが、さあ今年の運勢は吉か、凶か……あまり深く考えずに思うがまま楽しく生きることも人生大事だ。多分。

 今年の抱負は「やる気を出す」「前向きに生きる」。毎年のように言ってる気がするが、今年こそは実りのある過ごし方をしたいと思う。

 

 さて、基本的にこのブログは話題があるときしか書かないので、本題をば。

 エロ小説においての地の文の割合について。

 

 昔はさておき、今執筆しているのは主に創作BL小説、多くがR-18作品だ。当然小説は登場人物が喋る会話文と、そうでない地の文とで構成される。俺は一人称視点と三人称視点、作品の毛色によって書き分けている。

 どちらも書いた上で、個人的にはやっぱり、一人称視点のほうが何かと楽だと感じる。状況説明などがそのキャラの知能に依存してしまうのはあるが、凝った言い回しをしなくていいし、たったひとりのキャラの主観でしか物事を見ないので、展開がサクサク進む。そして三人称視点のときよりも、会話文が地の文より多くなっても許される(気がする)。

 とはいえ三人称視点で一般文学小説もどきの地の文をズラズラ並べ立て、会話は最小限にする手法も好きなので、本当にその場その時、というか話によって分けている。

 

 だが、R-18タグがつく話を書くとき。

 正直、小説としての正しい手法がどうのとかいう話は、公開している媒体が無料である限りあまり気にする必要はないんじゃないかと思う。お金をかけて出版し、読者は対価を払って作品を読むという形でなく、「ただ趣味で、好きが講じて、欲望のままに、読み手のことなんか知ったこっちゃねえ俺だけが幸せになるための作品だ!!」というスタンスなら、好きに書けばいい。それをふらりと立ち寄って時間潰しに無料で読んだ人が何を言う権利も必要もないだろうし、好みじゃなければブラウザをそっと閉じればいいだけの話だ。

 ……なんだけれど、やはりそんな作品でも、一定の評価を貰うにはある程度の手腕や法則があるんじゃないだろうか。R-18タグがついた創作BL小説でも、多分きっとそういう「読まれやすい・評価を貰いやすい・リピーターが増えやすい」作風が存在するのだ。

 自分のために書いてはいるけれど、公開するからにはやっぱり少しでも多くの人に読んでもらいたいし、この気持ちを分かち合いたい。そんな感情が俺にもある。けれど、作風を曲げてまで評価を貰いたくはない。好きなように、思うように書いたものこそ見てもらい、それで少しでも誰かの心にも残ってくれるならこれほど嬉しいことはない。

 自分の考えたものを自分だけの記憶として留めておくのではなく、誰かの記憶としても残してみたい。

 そんなことを最近は思うようになってきた。気づいたというべきか。

 

 話を戻す。pixivでブクマが多い創作BL小説を見ていると、地の文より圧倒的に会話文が多く、さーっと読むだけで濡れ場の状況がわかるようなものが多い。確かに読みやすいし手軽に抜けるし、事実、俺の投稿している作品の中でもそういう作風に近いものが突出してブクマ数が多かったりする。(自身でも意識して会話文を増やしてはいた)

 俺は頭が良くないから凝った表現を使ったりもできないし、文学とは似ても似つかないせいぜいラノベくらいのものしか書けない。読者はおそらくあまり堅苦しい表現を求めていないライトな層なんじゃないかと勝手に想像してる。だからこそ、あまり地の文を長く続けると読む気が失せたり、エロにもシリアスにも振り切れない、中途半端で読む価値のない作品だと思われたりしてるのかもしれない。

 そういうことを考えたとき、少しでも読者を増やすにはどうしたらいいのか。単純に作風の問題か、それとも話が面白くないからか、タグやキャプションなどのアピール方法がよくないのか、亀更新だからか、もういっそ作者の人間性が駄目だからか?? 色々と挙げてみるが正解が何なのかはわからないし、結局地道に書いていくしかないのかなとも思う。でもやっぱり度々悩む。「魅力がないから」といえばそれまでだし。

 俺は今の自分の作品が好きだし、誇りを持っている。今の作風で、読んでくれたり、評価をくれる人がいることを心底有難いと思いたい。それだけは確かだ。

 

 まあ、目下の目標は、執筆スピードを上げるということで……課題が多すぎて一体どれから手をつけたらいいかわからんな。ぼちぼち頑張っていこう。