妄想に生かされる

自分語り、BL、創作、性癖などを置いていく場所

自信を手に入れるには

 毎日生きてることが申し訳ないと思いながら生きている。誰よりも下に生まれた気がする。一生治らない病を患って生まれた気がする。親にすら申し訳ない気持ちでいっぱいだ。出来損ないの子供でごめん。親孝行できなくてごめん。

 高給取りな訳でもないし、普通の恋愛も結婚もできない、子供も作れない。本来親が親として味わう筈の最高の幸せを与えてあげられない。こんな子供なのに育てさせてごめん。親が事前に生まれる子供を選ぶ権利が持っていたら、俺はきっと選ばれていなかった。ハズレガチャ引かせてごめん。

 自分で自分のことが大嫌いで、殺したいほど憎んでいるのに、殺す勇気も死ぬ勇気も出なくて生き延びてしまっている。けれど生きる勇気もない。前向きに生きる方法は自分を好きになること? 絶対に無理だ。欠陥品の自分の存在を自分で許せない。

 よく「性同一性障害は障害じゃない、個性だ」と言う人を見る。その意見を否定するつもりはないが、俺は自分で自分のことを障害者だと思っているし、いっそ不治の病だとすら感じる。

 だって、どんなに心が「本物」でも体を弄っても、俺は一生「生まれつき本物だった男」にはなれないのだ。心は正常なのに、体はおかしいままなのだ。これが病気でなくて何になる? これを個性だと言われてたまるか。男に「成りたい」のではない。男に「生まれたかった」んだ。この器に押し込められて生を受けてしまった以上、俺の人生は既に詰んでいる。好きになれ、自信を持てと言われてもどうしようもない。

 だけど所詮、こんな屁理屈をいくら並べたところで現状は変わりはしない。どうしようもないくせに、死ねないのなら生きるしかない。弱音も文句も一切吐かずに。

 

 今日、俺は会うのが二度目の人に弱音を吐いてしまった。どうしようもない愚痴を話しながら俺は、「ああまたこんなことを話してる、自分で解決しなきゃ人に話したところでどうしようもないのに、相手もこんなこと話されて迷惑してたり困ってたりしてるはずなのに」と自己嫌悪していた。

 だがその人は俺の話を聞き、こんなことを言った。

 

 「「自信=自己有用感」で、それは人と関わることで得られるものだから、まずは人と少しずつでも時間を共にして、人から感謝されることが増えていけば、自信がついていくんじゃないかな。そこから始めませんか?」

 

 どこかで聞いたような言葉だと思った。自信をつけたいが為に読み漁った資料にいくらでもそんなことは書いていたし、それができないから悩んでるんだろうと思ってきた。

 だけど、俺の話を目の前で聞いてくれて、その上でどうしたらいいかを考え、提案してくれたことに意味があった。他人だけど、言ったら言いっぱなしの無責任な台詞じゃないというだけで、自然と素直に受け入れることができた。

 俺は今までひたすら人と関わることを避けてきたし、今では損得勘定で交友を自ら絶ってしまうことも少なくなかった。この人と付き合って自分に得があるのか? この人は自分と付き合って何も得をしないんじゃないのか。お互いに損しかない関係は最初から作らないようにしよう、と。

 だから自信がないのだと言われれば、そうかもしれないし、違うかもしれない。俺が俺を嫌いな理由は別の場所にあるような気もするから。それでも自分ひとりで悩み続け、出口のない迷路をさ迷い続けるのなら、何か行動を起こすべきじゃないかと思った。

 その為の環境を提供してくれる人がいるのだから、機会を逃すべきじゃない。このまま独りでい続けたら、きっと何も変われないし、死ぬことも生きることもできず、誰もに対して申し訳ないと思い続け、迷惑をかけながら過ごしていくしかない。

 俺にできることなんてたかがしれている。でもできることが一つでもあるなら、やらなければいけない。生きていく以上は。

 

 そういうわけで、まずは人と関わることから始めようと思う。どうせ俺のような欠陥品は頑張ったところで大した成果も残せないのだから、ゆっくりじっくり、せめて人並み……いやちょっと下でもいい、とにかく平均水準に届くよう、やっていこう。

 自分の人生は自分のもの、誰も責任を取ってはくれないし、俺一人死のうが生きようが他人にしてみればどうだって構わない程度のことなんだから。