妄想に生かされる

自分語り、BL、創作、性癖などを置いていく場所

好みのBLを求めて

 令和元年も終わろうとしている中、早々にブログの意義を考え始める俺である。書きたいことがないのは平和ということなのか何なのか……いや、不精なだけか。

 

 自分で書くことと同じくらい、商業BLを読み漁るのが大好きなのだが、ここのところ良いと思える作品に出会えていないのが辛い。

 元々、自分でBLを書くようになった理由のひとつに「自分の好みのBLを読みたいから」というのがあり、それは今でも変わらない。萌えが足りないなら書けばいいじゃない!という信条に従うべきなのだろうが……そう上手くはいかないもので。

 出来る限り、作品の更新頻度を上げて量を増やすことを目標にしたいと思っているが、実際のところはどうなのだろう。量と質、どちらを優先すべきか。

 ……先ずは遅筆を直すべきだな。

 

 商業BLを選ぶ基準は「受けが好みかどうか」だ。攻めに対してはわりと広い心でどんな属性でも攻めである限り受け入れられることが多い。が、受けが好みでなければまっったく面白いと思えない。最近は電子書籍化も進み、買う前に試し読みができる場合が増えてきたので、昔ほど失敗はしなくなってきてる。

 それでも、1冊読み終えるまで「面白いかどうか」は判断できないし、あらすじと表紙、そしてたった数ページの試し読みだけでは、どんな物語かはおろか、登場人物のどっちが攻めか受けか判断できない場合もある。それがとても困る。正直ネタバレになってもいいので表紙かどこかに誰が受けで誰が攻めなのかでっかく書いておいてほしいくらいまである。そうでないと地雷(という言い方が浸透してるので使う)を避けられない。

 二次創作ではその点、通称CP名やキャプション表記などで明記されているので、だいぶ親切。それだけデリケートなジャンルでもあるのは確かだが。

 だが創作・商業BLはそうもいかない。どちらが受けか攻めか、あえて最初に明記しないことで作品のネタバレを避けるということもあるだろうし、受け攻めを表記する文化も存在しない。オリジナルという分野では、読むか読まないかを読者に委ねられているところが大きいから、地雷がどうのこうの言っても結局「じゃあ読むな」で全てが片付く話なのかもしれない。それもそうだ。

 

 結局何が言いたいのかというと……世の中には黒髪・短髪・身長180cm・notショタ童顔・一人称俺・筋肉質受けが少なくはないだろうか。どちらかというとそういうキャラは攻めなことが多い。が、いかにも男らしいキャラが受けという最高のギャップ萌えを俺は求めているのだ。色素薄い華奢な守ってあげたくなる系受けが主流なのはわかってる……!わかってるけど……!!でも欲しいんだ……!!

 とか嘆く暇があるなら、自分でド性癖な創作BL書いた方がよっぽど有意義だなと思い、筆を執る、そんな日々。そんな人生。

 上記のような受けがHな目に遭う商業BLなんかがあったら誰か僕に教えてください。待ってます。

 

創作小話:Ωのゆい先輩

 創作BL「パブロフと犬」シリーズ。そのオメガバースパラレルストーリー「僕と君とアルファとオメガ」で登場した、オリジナルキャラ「ゆい先輩」。

 αの裕太を「運命の番(つがい)」と思い込み、何とか手に入れようと奮闘する、当て馬的立場のΩ女子。(当て馬って表現女子にも使うのかな)

 

 最初は名前も出てこない完全なモブだったのが、後半結構出張ってきて名前がないのは不便だということで、「ゆい」という名前だけ出てきました。

 裕太たちより2つ上の高3。身長は155~160cmくらいで高1裕太より少し高め。髪は長く茶系に染めている。全体的にゆるふわな感じの可愛い子。Ωとしての知名度はそこそこで、男子からもモテてそう。

 しかし初めてヒート(発情期)を迎えた際、フェロモンの影響を受けたβの集団から慰みものにされてしまった経験があるので、恋愛事などには興味がない……というより、嫌悪している。

 「運命の番」に憧れを抱いていて、いつかαの王子様が自分を迎えに来てくれると信じている。

 そんな折、新1年生の裕太がαらしいという噂を聞き、彼こそが運命だと思い込む。……という感じでしょうか。

 パブロフと犬は裕太と昌也の話なので、モブまたは当て馬とどちらかがくっつくなんて絶対にあってはならないこと。どういう背景を持った人間が現れても、そこが覆らない限り当て馬が報われることはほぼないけれど。

 現代社会にバース性という設定がそのまま輸入され、たった昨日今日適用されたようなオメガバースの世界観の中で、ゆい先輩みたいな人間はそう珍しくない気がする。し、作者としてゆい先輩のことはわりと気に入っている。かわいい。かわいそかわいい。だってゆい先輩は本当に裕太のことを運命の番だと信じて、ただ幸せになりたかっただけなんだ、やり方は強引だったかもしれないけれど。

 

 結果的に裕太はゆい先輩のαではなかったので、彼女の運命の番は別に存在するということだ。なので近い将来、運命の番と運命的な出逢いをして、あれよあれよとその人と家庭を作り、幸せになってほしい。

 その時こそ、彼女は確信する筈だ。「この人こそあたしの本物のαだ」と。

 幼稚園とか保育園とかでママ同士の集まりがあって、そこでゆいママと昌也ママが偶然顔合わせて「あーー!?」みたいなの、あったら面白いよね。

 ゆい先輩のαはいかにもなエリートαだと思うんですけど、男でもいいけど、バリバリのキャリアウーマンでもいいと思う。オメガバース百合も良い。俺はα女子にバッキバキち○ぽ備わっててほしい派。バリタチ女子良い。

 

 そういえば、同じく今回(case1~2)で初めて名前が出てきた「大津くん」。彼は本編時点で既に設定は固まっていて、いつ名前を出そうか考えていた人です。裕太をいじめていたけど、昌也の出現で手を引かざるを得なくなったいじめっ子。

 彼ともう1人、裕太にラブレターを送った君島さんについてもいつか掘り下げて話を書きたいなと思いつつ……まあ内容はゆうあきのイチャイチャっぷりを見せつけられてぐぬぬしてるだけになると思うけど。

 だからちょっと、case1で裕太がΩだった場合の突っかかり方が普通じゃない。とか。設定とかネタだけは溢れてる。

 

 オメガバースって本当に夢があるなぁと思います。元々設定自体好きだし、そこから独自の解釈を自由に加えられるというところも楽しい。

 昌也は大好きな旦那様と可愛い子供に囲まれて、大変だけどそれはそれは幸せな暮らしを送っていると思うし、裕太はαとしての責任や自分の価値を自覚して、愛する人達を守るために頑張ってると思う。そして、αとΩという性と向き合いながら、2人で生きていく。

 本編では決して有り得ない。でも2人にとっての、こういう幸せなんだろうな。どれが本当の幸せ、ではなく、いくつもある幸せの形のひとつ。書けて楽しかった。

 

 ところでゆい先輩と昌也って、好きな人には甘々で、思い込んだら一直線で、一途で、好き嫌いハッキリしてて、夢見る乙女なところ、わりと似てると思う。そういう子に好かれやすい体質なのか裕太って……?

妄想に生かされる

 俺は、自分語りが好きだ。

 

 けれど、口下手なのと人付き合いが不得手なので、あまり自分のプライベートを他人に打ち明けることがない。

 人の話を聞き、口にはしないが心の中ではああだこうだ言いながら生きている。言いたいことは沢山ある。常に何かを考えている。妄想と呼ぶのが正しいと思う。俺は常に妄想をしながら生きている。

 

 だから少し、好きなように文字にしていってみようと思い立った。物語でもなく、ツイッターでもなく、ただただ思ったこと感じたことを文にして、自分を客観的に見てみようと。

 もしかしたら俺と同じ考えの人がいるかもしれないし、俺のことを知って何かしら思う人がいるかもしれないし、そういうことを知るのにはブログって丁度いいのかもしれないと思ったりした。

 

 俺はいわゆる、セクシャルマイノリティ性的少数者に分類される人間である。

 生まれもった肉体の性別は女。性自認は男。恋愛対象は女性。今流行りのLGBTでいうとT。自分が「異常」だと気付いて10年以上になる。

 

 そして、俺は腐っている。寧ろ腐ったものしか食べられない。BLとGLは好きだが、NLは嫌いだ。大嫌いだ。

 詳しく言うと「互いに愛し愛され結ばれることが前提とされ誰一人としてそれに疑問を抱かないNL」が嫌いだ。多分これには、俺が実生活で感じた、性的少数者が生き難い社会への不満が投影されてしまっている。確実に。

 まあ、別に嫌いなものに対して語りたいことなどほとんどないし、NLが好きでBLGLが嫌いな人を否定したい気持ちもない。住み分けは大事。言いたいことはこんなことじゃない。

 

 誰かが「BL趣味は現実逃避だ」みたいなことを言っているのを見たことがあるが、それを肯定するか否定するかは別として、俺にとっての現実逃避の方法こそBLだった。

 小5で女友達が貸してくれた、某少年漫画の二次創作アンソロを読んだところから腐人生が始まり、己で自CPを作るようになり、創作にハマり……

 それから毎日、BLのことを考えない日はなかった。比喩ではなく、本当に。毎日毎日、BLのことばかり考えてきた。

(ちなみにBL布教してきた女友達が実はバイだと中1のとき知り大いに戸惑った。世界は狭い)

 

 現実がクソみたいなことで溢れていても、空想の世界でBLを摂取しさえすれぱ活力が湧いてきた。

 現実では有り得ないからこそ、存分にファンタジーに溺れ、楽しいことだけを妄想し続けてきた。

 妄想こそが俺を生かしてくれた。俺にとってBLとは食物、いや呼吸に等しい。無いと生きていけない。比喩ではなく。

 

 俺は自分の趣味に誇りを持っている。俺の親愛なる我が子達、創作キャラ達を愛している。そして、彼らを「どうにかしてやろう」というよりは「行く末を見届けたい」と願いつつ、日々一文字ずつでも彼らの生き様を文字に残していこうと思っている。

 

 「ゲイです!BL好きです!」という人は結構聞くが、ゲイだからどうのこうの、ビアンだからどうのこうの、じゃなくて、好きなものは好き、嫌いなものは嫌い、人それぞれでよくないかと思う。

 俺はこんな人間で、BLが好きで、日々BLに生きる気力を貰っている。いつまで続くかわからないけれど、力の続く限りは、彼らの幸せを妄想し続けたい。

 現実逃避しなきゃやってられないことで溢れてる社会が悪い、とか言い訳しながら、俺は今日も妄想に生かされていく。